評判通り歴史的解釈の誤りが目立つものの物語として読んでみた。いわゆる巷でコピペといわれているところには興味がなく珍説を楽しんだ。
世界四大文明という用語は日本だけ。
新嘗祭など、宮中祭祀から切り離されて、占領軍によって勤労感謝という意味の異なる名称にさせられた。
神功皇后も仲哀天皇も創作上の天皇ならば、わざわざ不自然な記述をする必要がない。
天皇の名前に神の文字が入っているのは、王朝が入れ替わり、初代を表すために、神の文字を用いた。
継体天皇は皇位簒奪(地位の継承権がないものが、その地位を奪取すること)した。
新しい王朝としなかったのは、万世一系という思想がすでにあったから。
男系でない女性天皇は即位していない。つまり、父親が天皇である。
神道には、教義や経典がなく、開祖も教祖もいないので、宗教ではない。
持統天皇が贈った「朕嘉厥尊朝愛国売己顕忠」という勅語は、天皇が一般個人に与えた史上唯一の勅語で、
この勅語にある「愛国」という言葉は、日本の文献上はじめてあらわれた。
読み方は、「国を愛(おも)ひて」。
唐の文化や制度を無条件に輸入したわけではなく、
食人文化、宦官、科挙、易姓革命など輸入していないものもある。
→天子は天命によって決まるが、天子の徳がなくなれば天命が改まり別の姓の天子が選ばれるという王朝の交代を正当化する思想。
ハングルを普及させたのは日本
鎌倉幕府という言葉が生まれたのは明治時代。
北条早雲は、無名の素浪人ではなく、室町幕府の政所の執事であった伊勢氏の出
桶狭間の戦いは、単なる領地争いの地方の合戦。
戦国時代という名称は明治以降。
露梁海戦
朝鮮・明連合水軍が日本軍に大勝した戦いとされるが、
日本軍の武将はほとんど戦死していない。
日本軍が明軍を圧倒していたことは中国も認めている。
むしろ、日本との戦いで疲弊した明は李自成によって滅ぼされ、李自成は女真人の清に滅ぼされた。
江戸時代、京都や大阪では弁当を持参していたが、江戸では手ぶらで出かけ外食した。
天保の改革の頃、表向きは五公五民であったが、四公六民から三公七民になっていた。
江戸時代の百姓一揆は、戦国時代の国一揆や土一揆のような武士と争うような一揆は怒ってない。農民が集団もしくは代表を立てて、交渉していた。
白米を食べる習慣ができ、脚気が増えた。
田沼意次は私財を没収されたが、ほとんど財産がなかった。
小栗忠順の新政府軍迎撃作戦
新政府軍が箱根関内に入ったところを陸軍で迎撃、同時に榎本率いる幕府艦隊を駿河湾に突入させて後続部隊を艦砲射撃で足止めし、箱根の敵軍を孤立化させて殲滅する
有史以来、宣戦布告をして戦争を行ったケースはほとんどない。