akon2.00βのよっぱらいの戯言

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マオ 誰も知らなかった毛沢東

 

 

どうでもいいけど、「誰も知らなかった」という日本語は嫌い。誰も知らなかったら本は書けないじゃん。「私と本人だけが知っている」としたら、それはそれで根拠が疑わしいし。正確に書くなら、「誰も書かなかった」だろうな。

 

 

Wikipediaがあるくらい賛否があり、真偽は議論されている。
参考文献が記載されているというサイトはリンク切れ・・・・・
http://shop.kodansha.jp/bc/books/topics/mao/

 

人望などなくてもいいということかな。

兎に角、毛沢東の悪口言い放題。

かりあげクン毛沢東を目指しているのだろうか。
王毅外相と周恩来がダブル。

 

死ぬまで生まれ故郷の方言しか話せず、毛沢東政権下の普通語さえ話すことができなかった。

井岡山で妻(楊開慧)や息子を見殺しにし、楊開慧の遺稿は大半が公開されておらず、遺族ですら閲覧が許されていない。


農村部から都市部を包囲する作戦は劉少奇が提案したもので毛沢東はむしろそれに反対した。

中国に共産党を作るという考えは、陳独秀の考えではなく、モスクワが、第三インターナショナルコミンテルンを設立したもの。
つまり、毛沢東は創立メンバーではない。
27歳になる少し前に共産党員になった。

1923年、モスクワより国民党に入党せよという指令が下る。
国民党は1912年にいくつかの共和主義革命勢力が連合して成立した。
孫文がわずかな間中華民国の初代臨時大統領をつとめ、そのあと袁世凱にその地位を奪われた。

そのため、孫文はモスクワと手を組み北京政府を倒そうとした。

1924年毛沢東共産党中央局を追われた。

1925年、孫文が死去し、後任に汪精衛がつく。

1928年蔣介石は南京国民政府のもと中国全土を名目上統一した。
蒋介石軍閥との対立に救われた。

1931年、蒋介石毛沢東軍を攻めるが、日本が柳条湖事件を起こし、東北を守っていた張学良は抵抗しても無駄だと考え戦わなかった。


南昌蜂起は中国人による軍事作戦ではなく、コミンテルン主導によるもの。


朱徳の元部下だった林彪を手なずけ、中華ソビエト共和国の主席に就任したころ、紅軍は朱徳、上海の共産党指導部の党書記は周恩来だった。

蔣介石の息子蔣経国はモスクワで人質になっていたため、蔣介石は故意に共産党軍を追詰めて毛たちを捕えようとはしなかった。


遵義会議において、中国共産党および紅軍における指導的な立場は確立していない。

ソ連=スターリンを味方につけ
朱徳彭徳懐の部隊を乗っ取り、張国燾や項英をわざと死の行軍へ導き、王明に毒を盛り、数千万の国民を餓死させてまで食料を輸出してソ連から武器を購入した。

 

秋収蜂起や瀘定橋の決死の渡河は実際には存在せず、むしろ秋収蜂起にいたっては作戦を妨害して、武装部隊を乗っ取った。
瀘定橋では一人の死者も出ていない。

孫文の妻宋慶齢、張治忠、胡宗南は共産党のスパイだった」

アヘンを密売し、抗日戦争にはほとんど参加しようとせず、「張作霖爆殺事件はソ連の謀略によるものだった」など)を展開している。


周恩来が癌だと知りつつ手術を受けさせなかった一方で、鄧小平も毛沢東の死期を知りつつ、教えなかった。

1950年、中国軍が朝鮮戦争に参戦したとき、北朝鮮軍は敗走中だった。
毛沢東は国連軍を北朝鮮から追い払い、金日成の独裁を復活させた。
朝鮮戦争は国民党の敗残兵を始末し、アメリカ兵と戦うという口実で、スターリンから援助引き出す。

さらに、スターリンの死後、共産主義陣営のリーダーになろうとした。
ソ連からは核兵器を製造する技術の供与を受ける。