文部科学省が作成した『私たちの道徳』で、江戸しぐさを推している。
https://ji-sedai.jp/series/edoshigusa/014.html
江戸っ子狩り
江戸しぐさが失われたのは、幕末・明治期に薩長勢力の「江戸っ子狩り」が行われたからだとか、戦争によって「隠れ江戸っ子」が途絶えてしまっただとか、当時の資料は焼き捨てられたので記録がないとか、
新政府はそれどころではなかった。
江戸しぐさという言葉の初出は、1981年8月2日付の読売新聞の編集手帳。
江戸商人の行動哲学として定義されている。
発明は1980年代をさかのぼらない。
江戸しぐさのしかけ人は芝三光、その信奉者で推進者は越川禮子。
芝は世の道徳の衰退を嘆き「江戸しぐさ」の復活を説いた。
越川 禮子著、『商人道「江戸しぐさ」の知恵袋』に書かれていることと実態との乖離
傘かしげ
傘がぜいたく品であり、主に頭にかぶる笠や蓑を用いていた。道に面したところに土間があり、そこで傘かしげをすれば、人の家に水をぶちまけることになる。
蟹歩き→海軍式
狭い道ではどちらかが立ち止まって譲ればいいだけで、同時に進むことが必要なのは、その余裕がない艦船のような場所だけである。
こぶし腰浮かせ
江戸時代の渡し舟には、現代の「座席」にあたるものはない。そして、渡し舟は途中から新たな乗客が乗ることはない。
時泥棒
「誰かの家を訪問する時には、アポイントメントをとって、きちんと時間を守って訪問しましょう。」
→時計など持っていない。アポイントメントを事前に取る方法もない。
駕籠とめしぐさ
目的地の手前で降りるのは他所様の迷惑。
江戸ソップ
健康で明るく、楽しく暮らそうというのが基本ですから氣(神経)をわずらうのが一番身体にさわるとおそれられていました。そんな時は一に眠り、二に眠り、三に赤ナス(トマト)、四にめざしと言ったそうで、睡眠をたっぷりとれば、たいがいの疲れはとれ、それでも良くならない時は、栄養のあるトマトやめざしを食べれば良いと考えたようです。滋養をつけるには江戸ソップ(スープ)という栄養食があり、根菜類(人参、大根、ごぼう)や椎茸などのきのこ類を親指の頭ぐらいに切り揃え、昆布の出し汁で、時間をかけてコトコト、ほほ笑むように煮れば、湯の中で気持ちよくなった野菜たちが、大地で十分に吸収した恵み(エキス)を静かに吐き出してくれると言い伝えられてきました。
トマトは当時西欧で有毒植物と信じられていたので、日本でも観賞用だった。
時間をかけてコトコト
→燃料費を節約するために時間をかけてじっくり煮込むことはない。
→薪や木炭で火力を調整するのは難しい
椎茸→人工栽培が広がり始めたばかりで高級食材
昆布の出し汁→昆布は入手できず、鰹だし
お心肥→こやしが人糞尿であることをわすれた時代の造語
後引きパン→パン自体が1587年の伴天連禁止令によって忘れられた。ショコラが西欧で広まったのは16世紀。日本初のチョコレート菓子は1878年風月堂。
真夏に氷を使っていたのは将軍だけ
江戸時代のバナナ(芭蕉)は観賞用で食用ではなかった。
トロを食べていたとあるが、大正半ばから使われた言葉。江戸時代は捨てる「脂身」をもらってきてねぎま鍋にしていた。
身分制度の視点が欠けているため、江戸時代の庶民の哲学(心学)というよりも、昭和以降の風俗と一致する。