akon2.00βのよっぱらいの戯言

色しょく是食、食しょく是色

obligation and expection in social context.

dueでないところがみそ。貸し借りと中小路さんはいっていたけど、helperとhelpeeの関係は興味深い。知識共創の前にいろいろあるよな。例えば、単に関係といったけど、cognitive proximity以外にsocialなどもある。さらに関係のdegreeもある。

以降、知識、知恵、情報を区別しないで議論する。
とりあえず、自発的に参加したbroadcastできるコミュニティにいるとする。このなかに本人が自覚しているかどうかにかかわらず、知識なり情報を持っている人がいるとする。

helpeeは、
本人が自覚していいない知識なり情報を持っている人をどうやって見つけて、知識なり情報をどうやって引っ張り出すか。
helperは、
どれだけ、どのようにinformしてあげたらいいのか。おそらくproximityとそのdegreeによって、helpeeが理解できるかとか、教育的かとかを考慮する。

これはP2Pだけど、socialのなかのP2Pは、双方ともsocialからみられていることを意識してしまう。これがコミュニティにおける切磋琢磨を生む。

proximityには何があるかを定義しないといけないんだけど、単純に場だけとっても難しい。例えば、コミュニティ、世間としてもよいが、人間が形成する集団に入る場合に、その集団の暗黙知をどう学習するか。例えばグループの打ち上げで上司が先に帰ったような、集合Aは集合Bの部分集合であったときに、集合Bの暗黙知が集合Aでは否定?させることがある。新入社員などはなかなかこのあたりの空気、コンテキストというか集合Bが集合Aになったということをなかなか理解できない。こうゆうのは、議事録を読んでも分からないし、「入社に当たってのしおり」にも書いていない。しばらく輪の外から様子をうかがう。そして、一歩輪に入ってみる。みたいな感じなんだろうなぁ。それでもね何年入社みたいな集合名を持ってしまうから、同化するには時間がかかる。いずれにしてもこれも形式知化したい。入りやすいコミュニティはなにか。同化しやすい人とはどんな人か。

これまでは、「来る者を拒まず、去る者を追わず」的コミュニティを想定していた。これには下心はあっても直接的な利害関係がないと仮定できる。しかし、コミュニティを強制的に参加させられたプロジェクト、もしくは外部の人からの情報提供を望む場合は、obligationが大きいとかexpectが小さいは、阻害容易になるわけだが、この大きいと小さいをどうやって評価するのか。

計量経済学は量を計測するわけで、質について考慮できていない。したがって、情報の経済学って進んでいないのですが、裁判でも慰謝料みたいに最後はお金に換算せざるを得ないのはわかるけど、「あめとむち」と同様にインセンティブ、モチベーションがお金に換算されるのはすっきりしない。現に、はてなポイントを貯めようと思わないいけど、情報は提供している(つもり)。もし、お金がもらえないとモチベーションが得られないならば、ブログはなりたたないはずである。そこにはなんかの自己充足がある(したごころ?)。この点でも中小路さんの貸し借りって共感した。

受益者が役立つという視点でratingすると、仮に有料で得た正しい情報でも、受益者にとって既知の情報ならば役立たず、嘘の情報でも嘘だと認識した上で役立つと判断するかもしれない。インターネットでは、性善説は望めないので、例ば、私はグルメサイトの正しさは、自分の知っている店の評価をみて決める(どのように決めているのかは当人でもよく分からない)。

とだらだら書いてきた。なにを考えているかはSIerとかCustomerに置き換えて想像してください。おもしろいのはhelperとhelpeeとの両方でそれぞれ置換可能なことです。