本書を一言で要約するなら、"Silicon Valley – A Mindset, Not a Location."
「このゲームでは規則が変わり続けるという事実を積極的に受け入れなくてはならない」ビル・ジョイ
原題は"Regional Advantage: Culture and Competition in Silicon Valley and Route 128"
「現代の」と修飾しているからもとのニ都物語とどう関係しているのか気になったけど、どうするとこのタイトルから二都物語につながるのだろう。
むしろ、内容的には東京(日本)を入れた三都物語のほうがあっていると思う。
もともとのニ都物語って、フランス革命時代のパリとロンドンであり、一方が興隆して一方が衰弱したという意味はない。せっかく、大前研一版をリメイクしたなら、この致命的なミスリードも修正すればよかったのに。
ルート128には、私の好きなDEC、アポロ、シンボリックス。とはいえ、実は新卒の会社訪問でDECにいった。雰囲気が重くて、面接すら受ける気にならなかった。直感が働いたのであろう。
「リスクと情報交換を奨励する文化では、失敗は「集合的な学習」に貢献した」というに感慨を覚えた。これはビックヒストリーにおける「コレクティブ・ラーニング」だ。
シリコンバレーに就職したというのもいい。
1995年に出版された書籍である。復刻版も絶版になるほど古い。コロナ前のシリコンバレーどころか、サン・マイクロシステムズやHPが元気なころ、シンセンやGAFAもない時代。そして、コロナ下、再びシリコンバレーは沈むのか。
半導体で一度はシリコンバレーを倒した日本ではあったが、ボストン・ルート128の道を日本は歩んでいる。
高品質なものを安価に大量生産できるのが当時の日本の強みであったのだろう。
この強みは今日ではすっかり中国にお株を奪われた。
西海岸に位置しスタンフォード大学を据えるシリコンバレー。東海岸に位置しマサチューセッツ工科大学を据えるルート128。どちらもエレクトロニクス産業の中心地として栄えた。しかし、1980年代を境に明暗が分かれる。多数の企業が競争かつ協働することで繁栄したシリコンバレー。少数の大企業が自給自足の事業を行ない、変化に対応できず凋落したルート128。
1980年代初頭に、両地域とも半導体市場を日本に譲り渡し、衰退していった。
この時期に、シリコンバレーでは、サン・マイクロシステムズなどの新興企業が勃興した。一方、マサチューセッツの奇跡と呼ばれたルート128の栄光は消えてしまった。
DECやDGがあったにもかかわらず。
一方、シリコンバレーの起源は1937年のHPの創業とされており、「HPウエイ」がその後のシリコンバレーの教科書となった。
当時は、シリコンバレーではなく、サクタクララバレーと呼ばれていたようで、1950年代にHPがきっかけとなって、スタンフォード大学のターマンが制度的な革新をおこなった。スタンフォード周辺地域に「技術的学者コミュニティ」を形成することで、技術系企業支援に大学が果たす役割を強化しょうとした。
・スタンフォード大学がSRIを創設して、「現実的な目的のために科学研究を行う」とした。
・スタンフォード大学は教室を地元企業に開放した。
・スタンフォード産業パークの開発を促進した。
ゼロックスのPARCもここからとったのではないかと思った。
競争的なライバル関係と準家族的な忠誠心がネットワークと形成した。
フェアチルドレン、今日のpaypalマフィア
1955年、ショックレー・トランジスタ社がパロアルトに立地して、シリコンバレーに半導体産業が根付き、1970年代のころ、サンタクララバレーが半導体の主成分にちなんだシリコンバレーの異名をとった。
シリコンバレーの形成に強く影響したのは、ショックレー社から独立した「裏切りの八人」がフェアチャイルド・セミコンダクター社を設立し、「裏切りの八人」はベンチャー資本家となっていた。
1974年にはベンチャー資本家は150人以上になっており、スタンフォード大学はMITと明確に違って、定期的にベンチャー活動に投資した。