樺太敷香郡敷香町オタスの「トナカイ王」と呼ばれたヤクート民族のドミートリー・ヴィノクーロフ がヤクーチア(サハ共和国)の独立に向け、日本の支援を求めた物語。
ヤクート人
サハ共和国以外にも、周辺のアムール州、マガダン州、樺太(サハリン)およびタイミル自治管区、エヴェンキ自治管区(両管区とも2007年にクラスノヤルスク地方に併合された)にも居住している。
13世紀にサハ人が中央アジアから進出してきて、同化。
1632年9月25日、コサックのピョートル・ベケトフは現在のヤクーツクの場所にレンスキー・オストログ(レンスキー砦)を築く。
1991年8月15日、ヤクート自治共和国の最高会議はヤクート共和国の独立を宣言したが、共和国内の人口に占めるロシア人の割合がヤクートを大きく上回っていたために、実現には至らなかった。