人道支援という巨大ビジネス。まさに、危機旅団。
強制収容所に支援を届けることになった。
収容所の監督官がその物資を自分たちのものにしてしまうことはわかっている。
それでも物資を届けに行くべきだろうか。
アフガンの人々にちゃんと支援物資が届くといいな。
→戦場では敵味方なく苦しむものを助ける
→そのようなことは戦争を長引かせるだけだ
つまり、人道支援につきまとう、支援が逆効果になってしまうという問題について、以下の事例を挙げている。
1980年代のエチオピアでの強制移住プログラムを実施するメンギスツ政権に援助を行った
1990年代のルワンダで、虐殺をしている側であるフツを援助した。
1990年代のシエラレオネの四肢切断
援助団体が行う支援が被支援者に紛れ込んだ紛争当事者に渡り、かえって紛争を長引かせる一因になっている
Do No Harm(害を与えない)原則
→支援に携わる人々や援助物資が現地に入ると、その土地の経済をゆがめてします。
援助団体が無秩序に紛争地への先乗り競争を行うことで、通行料や関税などの名目で多額の援助資金が当事国政府に流れている
援助団体と持ちつ持たれつの関係にあるジャーナリストが、人為的に作られたセンセーショナルな場面を撮影し、それが援助団体の資金調達に利用され、そのように宣伝された紛争地にのみ援助が偏ってしまう
問われるべきは、「それなら、ただ単にまったく何もしないでおくべきかどうか」ということではない。問われるべきは次のようなことだ。戦争当事者による搾取を考慮しても、援助によるプラスの効果を推し量るとするなら、どこに分岐点があるのか、そして人道原則が倫理的でなくなる地点はどこなのか?
援助活動家に質問をあびせるのだ。もし、彼らが人助けをしているというのなら、その食料やそれらの薬で誰が助けられるのかを尋ねよう。罪もない犠牲者なのか、軍閥なのか、それとも両方なのか? 行方がわからなくなるお金や物資に関しては、援助機関が上限として容認できる限度はどこまでなのか? どの段階で、援助事業による戦争経済への寄与を「害を与えている」とみなすか?
非営利組織は、自分たちの団体が行っている活動が適正なものであり、資金を無駄にしていないということを費用負担者であるドナーに説明責任を果たしているか
モンゴ(MONGO:My Own NGO)
NGOの腐敗に対して立ち上げられた個人のNGO
紛争ダイヤモンド
シエラレオネなど内戦地域で産出されるダイヤモンドをはじめとした宝石類のうち、紛争当事者の資金源となっているもの。血塗られたダイヤモンド、汚れたダイヤモンド、戦争ダイヤモンドとも呼ばれる。
キンバリープロセス
「紛争ダイヤモンドではないことを証明」するための制度
視聴者の感情を煽るような刺激的な映像がメディアによってもたらされることによって世論が形成され、それが政府の外交政策に影響を与えるのではないかという仮説
「援助業界裏用語」という付録はまるで悪魔辞典だ。