扉に「クラウディアに」とあるから窓辺さんと思うじゃないですか
バーチャルの事物もリアル。
リアルはバーチャルかもしれない。
バーチャル世界の哲学的問題
実存に関する問い→バーチャル世界はリアルか→形而上学→これは何か
知識に関する問い→バーチャル世界にいるか→認識論、すなわち知識の研究→どうやって知るのか
価値に関する問い→バーチャル世界でよい人生を送ることができるか→価値理論→それはよいことなのか
シミュレーションの中にいないことは証明できない。
シミュレーション仮説
私たちはシミュレーションの中にいるという仮説
仮定1:意識のシミュレーションは可能
仮定2:技術革新が止まらない
仮定3:進歩した文明は自滅しない
仮定4:高度に発達した文明はシミュレーションを欲する
仮定5:もし、たくさんのシミュレーションがあるなら、私たちはおそらく、そのシミュレーションうちの1つである
これらの仮定が「真」であるならば、シミュレーションの中で生きている。
シミュレーション・リアリズム
私たちがシミュレーションの中にいるならば、まわりの事物は錯覚ではなくリアルだとする考え方。
シミュレーション論証
ハンス・モラヴェックによるシミュレーション説に関する統計的論証、あるいはニック・ボストロムによるシミュレーション説など、三つの説における三つの選択肢に関する統計的な論証
可能世界
真なる命題とは、現実世界において真であるような命題である。
可能な命題とは、少なくとも一つの可能世界において真であるような命題である。
偶然的な命題とは、それが真である可能世界も、偽である可能世界も存在するような命題である。
必然的な命題とは、全ての可能世界で真であるような命題である。
不可能な命題(必然的に偽の命題)とは、全ての可能世界で偽であるような命題である。
デカルト的懐疑
外部世界の知識を疑う一形式。錯覚、夢、悪魔などにより現実とは接触できていないので、外部世界について実質的に何も知らない。
バーチャル・デジタリズム
VRのなかのものはデジタルのもの、ビットでできている。
バーチャル・フィクショナリズム
バーチャル世界をバーチャル事物は虚構とする主張
バーチャル・リアリズム
バーチャル事物は錯覚ではなくリアルとする主張
バーチャル内包
Xというカテゴリーや言葉について、バーチャルXを本物のXとみなすときは、バーチャル内包と言い、みなさない場合はバーチャル除外という。
リアリティ
・存在するものの総体、すなわち存在全体(コスモス)
・宇宙(ユニバース)、マルチバース(多元宇宙)も含む
・リアルさ
完全シミュレーション
対象の世界を「おおよそ」ではなく、「正確に」シミュレートしたシミュレーション
純正シミュレーション
シミュレートされた人間など、純正シム(コンピュータシミュレーションの中にいる生物)だけからなるシミュレーション
非純正シミュレーション
シミュレーションと接続された「水槽の中の脳」のように、シミュレートされていない一部の生き物がいるシミュレーション
水槽の中の脳
「あなたが体験しているこの世界は、実は水槽に浮かんだ脳が見ている夢なのではないか」という仮説。
シミュレートされた現実はリアルか
・存在するか
・因果的力を持つか
・心から独立しているか
・非錯覚か
・本物か
ビットからイット説
物理的な実在を含む物理的事物はビットでできている。つまり、その基礎には、ビットの相互作用を含むデジタル物理学がある。
純粋ビットからイット説
現実を構成する基本要素はビットであり、それより基本のものはないという考えと、ビットからイット説が結合した説。
イットからビットへそしてイット説→純粋ビットからイット説→量子ビットからイット説
https://w.atwiki.jp/p_mind/pages/74.html
世界のありとあらゆるものは情報であり、その情報(bit)を観測することによって存在(it)が生まれる
https://daen.hatenablog.jp/entry/20080724/1216829417
コンピュータ内に全生態系をシミュレートすること
ビバリウムの生き物において、心理的プロセスは含まれていないので、デカルトの二元論(心と体は独立している)は正しい。VRについても同様である。
ボルツマン脳
宇宙空間にある物質のランダムな揺らぎによって、偶然に生まれた人間の脳と全く同じもの。
段階的アップロード
シミュレートされた脳になる方法として、一つずつ細胞をシミュレートしていく。
知能、意識、アイデンティティを持つかがアップロードの障害となりうる。
ARは心を拡張する