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- 日本史の誕生と重複あり。
大和朝廷の歴史(日本書紀)は持統にとっての現代史のあるべき姿を描き出したもの。
つまり、正当化するための先例をつくりだした。
タギシミミの反逆は大友皇子から天武が皇位を簒奪したことを正当化するために使われ、
サホビコ・サホビメり物語によって、孝徳天皇の皇位継承権を否定し、
ヤマトトトビモモソヒメによって、間人皇后に孝徳天皇の死について批判している。
神武が日向の出身で、高千穂の峰(隼人の聖地)に降りてきたり、隼人の始祖と同母兄弟というのは、
隼人の同化のための天武の政策から生まれた。
綏靖から垂仁までの歴史は大化の改新から天武の死までの政治上の事件を下敷きにしているので、
天武、持統の立場を擁護している。
5世紀以降は兄弟相続であったのに、大和朝廷だけは13世代も厳密に直系父子相続が行われたの不自然であり、
直系父子相続は草壁、文武に皇位を引き継がせるために書かれている。
ヤマトタケルは天武をモデルにしている。
神武から成務までの古墳を割り当てたのは日本書紀である。