ダブルスタンダードによるご都合主義的な使い分けは正義概念に反する。
リベラルは「自由主義」よりも「正義主義」。
リベラルの歴史的起源は「啓蒙」と「寛容」にある。
その二つを統合するのが「正義」
正義の基準(正義概念の規範的実質)は「普遍化不可能な差別の排除」
・「反転可能性」
自分はできないことを相手には強要してはいけない。
自分の他者に対する要求や行動が、もし自分がその他者だったとしても受け容れられるかどうか。
自分は特権、相手は厳しく制限・抑圧されるはリベラルではない。
・「ただ乗りの禁止」
コストを払わずに利益だけを得るのは不正
・「二重基準の禁止」
ダブルスタンダードを使ったご都合主義を許さない
同質社会的な同調圧力が渦巻いている。
国歌・国旗問題→愛国心を強制していいのか
集団的安全保障→仮想敵をつくってしまう。どの国もほかから侵略されたら国際社会が一致協力して守るべきだ
九条削除論
→ある特定の安全保障観を憲法に固定化すべきではない。
→戦争の正義には、以下の四つのタイプがある。
・積極的正戦論→自衛以外の 悪しきものと判断した対象を亡ぼす戦争も肯定する立場
・無差別戦争観→ルールに従いながらも国益の追求としての戦争を肯定する立場
・絶対平和主義→自衛戦争も否定 不満は抵抗で示すが非暴力
・消極的正戦論→自衛限定戦争
九条との関係で問題になるのが、絶対平和主義、消極的正戦論。
消極的正戦論をとり、集団的安全保障体制に参加すべき。
九条の解釈は絶対平和主義。
天皇制→民主的奴隷制(職業選択の自由がなく、政治的言動を禁じられ、表現の自由もない)だから廃止せよ
護憲派と改憲派双方の問題→改憲派は一応正当な手段を用いて現実と憲法のズレを修正しようと試みているのに対し、
護憲派はズレを認めながらも現状の防衛利益だけは享受しようという立場だから欺瞞に過ぎる。
愚民観への抵抗→リベラルや保守層の中には「民衆には安全保障問題は任せられない」と民衆を愚民として扱う風潮があるがそれは許されざるパターナリズムである。エリートも失敗ばかり重ねてきた。憲法によって暴走の歯止めを利かせつつ皆で責任を取る政治が必要。
相対主義の克服→論理実証主義を批判したカール・ポパーは反証可能性を主張。
誰のいかなる主張でも可謬性を免れず徹底的な批判に曝される必要があり 批判的テストに耐えた限りで暫定的に認められるという立場
フェミニズムの問題→フェミニズムは既存の意味秩序を攪乱する為に男か女か分からない格好で練り歩いたりする パロディ的に動く部分があるけれど それは一見ラディカルでも現状の構造に手をつけずにその中で茶化して遊んでいるだけと マーサ・ナスバーム(フェミ)からも批判されている。
似非リベラルと劣化した保守