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日本語のミッシング・リンク

日本語のミッシング・リンク: 江戸と明治の連続・不連続 (新潮選書)


「江戸と現代の言葉の不連続、つまり、ミッシング・リンク」をみつけようという試み。結局、見つかっていないというのが読後の理解。以下は読後の感想。

日本語の古典的な文体である文語は主に平安時代までに完成した。中世以降、次第に話し言葉との乖離が大きくなっていった。

「江戸時代の教育では、古典中国語(漢文)が理解でき、古典中国語によって表現できることが求められた」。

明治時代の言文一致運動により、口語との乖離が著しくなった文語を、口語に準じた形に書き表すようになった。
人為的な働きによる言語変化が明治時代に生まれたので、ミッシング・リンクといえるかといえば、そうでもない。これは江戸と現代の言葉の不連続を連続にしょうという試みではなかったのか。
そもそも、標準語が存在しない日本語に対して、連続性を期待するのは無理だと考える。明治時代に「誰もしゃべっていない概念的な言葉を標準語とした」ことにより、標準化は破たんした。文科省は標準化をあきらめて、共通語と呼んでいる。

近世までの日本では、意思疎通が難しいほど各地の方言はあり、江戸時代になって江戸に集まった各地の武士は共通語として武家言葉を使うようになった。戦時中は軍隊で、現在ではマスコミや広範な人の移動などを通じ自然に形成された言語が、共通語である。
AIによるspeech2textも口語体から文語体にできているわけじゃない。
むしろ、ますます乖離している。