回顧録がワッチーに好評だったので、つづきを書こうと思いながら、なかなかかけていませんでした。岸田さんの本のスピンオフを書いているうちにいろいろ忘れかけていることがわかったので、覚えているうちにがんばって書いてみる。
このプロジェクトは、いわゆる、さくら2号を使って、衛星通信をどうやって利用しょうかというプロジェクトでした。
大阪の寝屋川と、玉川(不二サッシの迎賓館があったところ)に基地局がありました。
本来の実験は、交差偏波でした。水平波の2つのアンテナを90度ずらすと同じ周波数数で2チャンネル使えてお得、45度だと分離できないぞみたいな実験でした。
私の担当は、スロッテッドアロハ方式通信プロトコルの開発で、いまでは普通の技術ですが、当時は机上の理論だけで、
#そもそも日本では衛星通信が1989年まで許可されていなかった。
最適なパケット長がわからず、シミュレーションしながらの開発でした。そもそも固定長のパケットでなく、電波状態に応じて、可変パケットにすればいいじゃみたいなことをやっていました。
納品ドキュメントが「こより」でとじなければならず、
これに苦労しました。
振り返れば、社会人1年生のときからアーキテクチャリングをやらさせていただいたいたようです。