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書物の破壊の世界史

書物の破壊の世界史――シュメールの粘土板からデジタル時代まで

 

焚書ではなく破壊という単語を選んでいるところから、書物が記録媒体ではなく、宗教とか文化とかの意味があることを思い出させてくれる。逆に言えば、焼くことの意味があったから、わざわざ焼く場合にのみ単語があるんだろうな。

 

 

 

書物を破壊することは、文化の破壊であり、アイデンティティを破壊すること。あるいは、敵対する言説を封じ込める。逆に言えば、書物は文化やアイデンティティ、思想と不可分なものということだ。

記憶のないアイデンティティは存在しない。自分が何者かを思い出すことなしに、自分を認識はできない。何世紀にもわたってわれわれは、ある集団が国家が他の集団や国家を隷属させる際、最初にするのが、相手のアイデンティティを形成してきた記憶の痕跡を消すことだという事実を見せつけられてきた。

 

 

残念ながらの日本の焚書についての記述は、読み落としがあるかもしれないが、応仁の乱第二次世界大戦のみ。一方、日本が他国に対して焚書したものとして日中戦争のみがとりあげられているが、好太王碑については、大日本帝国陸軍による碑文改竄説がある。

 藤原氏とか桓武天皇焚書は、日本にとって重要な意味を持つが外国人には理解できなかったんだろうな。

もちろん、江戸時代、大日本帝国時代にも大々的な焚書があった。そして、GHQ焚書

 

パピルスの別名をビブロスと呼びそこから転じて書物はビブリオと名付けられた。

 

Johannes Trithemiusの著書「ステガノグラフィア」から、ステガノグラフィー(steganography)という単語が生まれた。1499年ごろ暗号理論があったのは新鮮だ。

 

古代ギリシャの時代から法律上の取り決めを書面で行うようになった。