今や江戸の味を鎌倉にいって味わう時代。
何気なく、手に取った本であるが八百善を江戸の味の象徴としている。
八方汁の八種類が分かってほっとした。この観点で八百善を味わえば納得できるのかも。
筆者は麻布永坂更科支店の布屋源三郎こと藤村昇太郎の孫らしい。
蕎麦より汁を大切にする江戸の蕎麦屋
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蕎麦粉自体、挽き方により色、口当たりの差はつけられるものの、製麺技術である「木鉢」では、老舗同士では技術が接近し過ぎ、蕎麦での特色は出しにくかった。
その点、蕎麦つゆは、特色が出しやすかったし、通年、同じ味が作り出せ、しかも一子相伝として、「のれん」の伝統として継承させることが出来たからである。
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うまみの主成分
世界のだし成分
ブイヨン(牛スネ肉、魚、鳥ガラ)
→グルタミン酸2、イノシン酸1
鰹だし
→ほとんどイノシン酸、わずかにグルタミン酸
昆布だし、椎茸だし
→グルタミン酸のみ
上方料理のうまみ成分
煮汁→昆布
醤油→淡口
酢→白酢
江戸料理のうまみ成分
鰹節のみで昆布は使われなかった
これだとグルタミン酸が少なくおいしくないはずであるが、
濃口醤油には、グルタミン酸が含まれていた。
昆布をつかわないことで、濃い鰹節のだしが必要になった。
最近では、昆布を使うようになり、煮物も減ってきたため、濃口醤油の需要が減っている。
八百善は1721年開業と言われ、秘伝の味は、土佐の鰹節と氷砂糖、醤油。
山谷の八百善は町人の美食家が
深谷の平清は官費飲食によって発達した。
蕎麦つゆは 八百善の秘伝の味と同じ。
江戸料理は蕎麦つゆで味付けされていた。
ここから、八方汁、八方だしが生まれた。
醤油1、みりん1にだし7-8割で合わせたもの
うま味成分の多い濃口醤油を制御するために、濃いだしが必要になり、だしの力だけでは足りないので、味醂や砂糖を加えて、江戸の味は濃厚になった。
蕎麦の前身はうどん、さらに索餅にさかのぼる。
蕎麦の歴史は蕎麦全書(蕎麦史考)にまとめられている。
当初の蕎麦つゆには、砂糖と味醂が入っておらず、1800年くらいから味醂が使われ出す。ただし、幕末のころでも、関西では、醤油を清酒で薄めてたものでそばを食べていた。
1750年は醤油は山十(銚子)、鰹節は土佐と川柳に言われるようになった。
醤油、みりん、砂糖の歴史も興味深い。
が、これらに加工を施すことはなく、技術的な加減もない。
だしが重要である。このだしを単に「吸い物だし」としてのみ捉えたところに江戸の味の衰退、醤油の地位の低下につながった。さらに、出汁抜きで醤油と砂糖、味醂で味付けし始めたので、江戸料理は衰退した。
だしには、「吸い物だし」と「煮物だし」がある。
「煮物だし」は、材料である鰹節、鰹節をはなにする厚み、はなの投入量、鰹節の引き方、煮詰めと火加減が吟味の対象となる。
・鰹節
鰹節は鰹だけからでなく、マルソウダでつくられるものもある。区別するために、宗田節と呼ぶ。
さらに鰹節は、本仕上節と本枯節がある。
さらに鰹節の類似品の鯖節、ウルメ節、煮干し、鯵節も使われる。
評判の店は、煮詰めの蒸発率が20%を下回ることはない。
はなの厚くして長時間沸騰させる。
このようにすると鰹の香りも飛び、素材の香りを生かすことができる。
一方、追いガツオと称して、取り上がり寸前に鰹節を入れて、「香り取り」で、本来の味を失ってしまう。
鰹節からアクは出ない。水質が悪いとアクが出る。
かえし
煮返しともいう。醤油を再度煮返すこと。煮返す際に、砂糖、もしくは砂糖と味醂を加える。
かえしは、甕に入れて、最低5日間寝かし、半月以内に使い切る。
出汁とかえしをあわせて蕎麦汁ができる。
砂糖を加えることで保存期間も伸びる。
辛汁座標軸(うまみ=だし汁Bx)
濃度軸(辛汁のBx)
甘辛軸(返しのBx)
Brix(ブリックス、Bx)は、溶液中の固形分濃度を表す目盛名。
単位は「%」または「度」。
糖度を表す場合が多い。
醤油は出汁がなくても通用した。
その結果、出汁の利いていない蕎麦汁がでてきて、醤油が江戸料理を衰退させた。
追いかつおといったごまかしの「匂い取り」がまかりとおることになった。
名店のかえし、だし、合わせの例が挙げられている。
蕎麦八方とは、江戸料理のなににでもつかえる蕎麦汁。
これを保存可能にしたものが「かえし」
これを以下のように適当に伸ばして使う。
八方汁
・かえし1味醂1→焼き鳥のような濃い焼き物のタレ
・かえし1出汁1味醂1→煮魚のベース
・かえし1出汁3→蕎麦汁、丼つゆ
・かえし1出汁4→天つゆ、八盃豆腐、おひたし
・かえし1出汁5→おでんや鍋物の割り下
・6倍→ぶっかけの汁や野菜の煮つけ
・7倍→葱鮪(ねぎま)「鰯のつみれ」といった汁とおかずの一緒になったお惣菜
・8倍→かけそばの汁や白魚の玉子とじといった吸い物
これで八百善の味に近づける